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天龍院について

住職からのご挨拶

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天龍院第21世住職の北折真一です。天龍院は1630年に創建され、おかげさまで今年390年を迎えました。歴代住職が護持してきた長い歴史を思うと自然に身が引き締まります。

先代の玄昭和尚(父)が初めて妻帯した人で、私は世襲第1号です。歴代住職は生涯独身で、昭和36年に父が入寺した際には、18世孝暢和尚、19世至道和尚がおり、2人の和尚に仕え大変苦労した話を親しい和尚様に伺いました。木造の建物内はすべて畳敷き、来客用に床の間が設えてあり、隙間風も多く、現在も家族の住居としては大変住みにくいところです・・・。

平成5年に青山学院大学(なぜかキリスト教主義の学校)を卒業し、名古屋の徳源寺専門道場に修行に参りました。父の師匠である松山萬密老大師、私の師匠である嶺興嶽老大師のお導きの下に、どうにかお坊さんになれました。平成12年に天龍院に戻り、同16年結婚(4人の男子を授かりました)、同20年に住職を拝命いたしました。令和2年6月からは妙心寺派東京教区宗務所長に就任いたしました。

さてどんな景色が見えるのか楽しみでもあります。来たる令和12年には創建400年、還暦を迎える頃の寺の絶景を夢見ながら研鑽努力する所存であります。

天龍院の由緒と沿革

本山は、京都花園・妙心寺。本尊は釈迦牟尼仏。寛政七年(1630年)徳川二代将軍秀忠公の帰崇を得て神田に境内一万坪を領し開創しました。創建以来、明治維新に至るまで毎年正月に将軍家へ松、梅、水仙を献上。慶安元年(1648年)現在の谷中に移転後、四度の大火を受け罹災するも、そのつど再建を繰り返し復興しました。明治30年建立の本堂・庫裡は、関東大震災、大東亜戦争の戦災等に遭遇するも、堅牢な堂宇と地盤の良さもあって軽微の損傷で免れ、昭和、平成の大工事を経て現在に至っています。

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山岡鉄舟 筆による山号額
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伊東玄朴墓所 (都指定旧跡・蘭方医)

境内に眠る名士たち

境内には、石造水子地蔵菩薩立像・永代萬霊供養塔が設けられ、墓所内には伊東玄朴(都指定旧跡・蘭方医)、高久藹崖(文人画の大家)、神波即山(漢詩人・書家)などの名士が眠っています。

宝物としては、台東区有形文化財・木造地蔵菩薩立像等を所蔵しています。天龍院の地蔵菩薩像は、正面を向いてまっすぐに立った立像です。像高は33.6cmと小さな像ですが、とても細かい技法がみられます。像の衣の部分にほどこされている緻密な文様は、金泥(金の粉を膠(にかわ)に溶かしたもの)とともに、金箔を細かく切ってはり、模様をつくる切金という技法を駆使して描かれたとても精巧なもので、製作者の技術の高さをうかがわせます。からだの部分には漆箔がはられ、眼は玉眼がはめこまれています。

また、制作年代の明らかな像としても貴重なもので、像の底部に仏師の名前とともに文明十一年(西暦1479年)と書かれています。

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台東区有形文化財 木造地蔵菩薩 立像